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武田信豊 (若狭武田氏) : ミニ英和和英辞書
武田信豊 (若狭武田氏)[たけだ のぶとよ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [まこと, しん]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 
: [うじ]
 【名詞】 1. family name 2. lineage 3. birth 

武田信豊 (若狭武田氏) : ウィキペディア日本語版
武田信豊 (若狭武田氏)[たけだ のぶとよ]

武田 信豊(たけだ のぶとよ)は、戦国時代武将大名若狭武田氏の第7代当主。武田元光の子。
== 概要 ==
永正11年(1514年)、若狭国守護・武田元光の子として誕生。近江国守護・六角定頼の娘を妻に迎えた。
天文7年(1538年)、叔父武田信孝を擁する粟屋元隆に勝利〔『親俊日記』〕した前後、もしくは天文8年(1539年)に父から家督を譲られたと考えられている。丹後国に出兵し、加佐郡を平定したうえで家臣の白井氏を郡代に配する。
天文11年(1542年)、義兄の細川晴元の要請により河内国の太平寺に拠る三好長慶を攻めたが、逆に敗れて有力武将の多くを失った。天文21年(1552年)、長慶に追われた晴元を若狭にて擁護し、連歌を興行した。天文23年(1554年)、晴元の要請を受けて逸見昌経を丹波国に出兵させ、長慶の家臣・松永長頼と戦ったが敗れた。
弘治2年(1556年)頃から、隠居の是非をめぐって嫡男の義統との争いが起こった。この渦中、信豊方に与していた信高が死去したこともあり、劣勢となり近江国へと逃亡した。永禄4年(1561年)、和議が成立し帰国した。この頃、信豊は出家して紹真と号した。しかし、その義統も永禄10年(1567年)に病死し、翌永禄11年(1568年)に、内乱の続く若狭国を越前国朝倉氏が平定し、義統の子・元明が朝倉氏によって連行されたため、若狭武田氏は事実上、若狭国の支配権を失った。永禄12年(1569年)、里村紹巴が若狭を訪れた際に連歌会や『源氏物語』の講釈会を催した。
没年は不詳。法名は霊雲寺殿大仙紹其。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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